2年前の夏休み、転勤引っ越しした我が家。
いまの地で迎える3度目の夏は、梅雨入り時点で厳しい暑さが続き、本格的な夏はもう日々溶けるような暑さ。
そんな暑さのなかで、ようやく、ようやく、
『住民』であることを、実感するようになりました。
2年前は、
《小5/小2/年少》の母だった私。
この2年で、
《中1/小4/年長》の母になりました。
体感的には短かったけど、長かったよなぁ。
子たちの成長を思うと、、うん。長かったよな。長かった。
引っ越しても長いこと、
『わが街』の実感が得られなかった。
8年間過ごした街への愛着は強く、悔やみきれないわだかまりがずっと残っていた。
どこの店へ行っても、どこの景色を臨んでも、つきまとう『あの日のわが街』の記憶。
ずっと、「この街ではお客さんだもの」という意識があった。
末っ子の園に対する不満もあった。
家族帯同したのに何もしてくれない、夫への苛立ちもあった。
そんななか見つけた、10数年ぶりの仕事。
幸運にも、子が通う予定の中学校で働けることになった。
ほんの少しだけ、地域の人と知り合いになれた。
そのひとたちに、子の入学を楽しみにしてもらえるようになった。
そして日が経ち、
思えばこの街3年生。
あの街3年生の頃は長女が
プレ→年少→年中になって
少しずつ知り合いが増えて
少しずつ行動範囲が広がって
小学校に入学した3年生の頃に例えるならば
同園卒以外の知り合いが少し増えて
名前と顔が一致する先生もそれなりに増えて
校舎の全体像もだいぶ分かってきて
そんな時期でしょう。
私の丸2年間は、しっかり妥当に、至極順調に、成長している。
なお私の友達は相変わらずほとんどいないけど、
「一昨年転校してきて〜」
と前置きすることで、初めて喋るひとに『どこにも属してないタイプ』と思わせるという点で大変有効。
園のママ関係見てると、群れるのはやっぱり無理っすわ。
さて。
子に先んじて一年以上長く中学校へ通っている私にとって、
参観日にしかいかない小学校よりも、中学校のほうがもはやホームです。
そんな中学校の入学式での大役を、小学校の担任から仰せつかった。
「転校してきて一年半ほどの我が子でいいのか」とも思いましたが、
これまでの人生ほぼ『優等生』で通ってる娘、全会一致で大役候補になったと言われ、お引き受け。
花をもたせてもらったな、と思うなどする。
当時の担任は、子からも保護者からも人気があるタイプ。
先生然としない姿は、頼りないわけではなく、一緒に全力で楽しみ、適度に悩み抜いてくれる、そんな安心感があった。
大役をこなしたことで、
「『あの』はつ山さん」などと言われる機会が何度もあった。
卒業後に小学校へ通い、
入学前に中学校へ赴き。
先生から『この街での居場所』を作るきっかけをもらった気がした。
私の職場にも変化があった。
採用してくれた責任者が離れることに。
年も近く趣味も接点があり、残念だった。
「長くいたけど、今のメンバーが一番良かった」
自らの意思で新天地へいくひとにそう言ってもらえたのは、この上ない褒め言葉。
新しく入ってきた責任者に、モノの在り処なんかをお伝えすることもあります。
私のほうが古参(←)なんだわ…と実感します。
分からないことも多いのだけど。笑
あのお宅のお庭が今年もすてき、とか
あのワンちゃんいつも跳ねてくれるのよね、とか
スーパーのレジのお姉さん新顔だわ、とか
そう、
いつの間にか、
すっかり、
『わが街』。
春休みに前の街へ行ったとき
「どう、新しい街は」と訊かれ
「戻りたいよ」「未練しかないよ」
などと言い、周りを困惑させました。笑
一方、転勤帯同で転出までもう幾日、という友人一家があることを知る。
更に、マイホーム買ったけど、介護で実家帰ることになったから転校、という一家も。
みんなそれぞれに事情がある。
うちだけじゃない、という当たり前のことを実感しました。
友人たちに会える機会があったことに感謝。
その後、初めて実母が遊びに来ました。
「田舎でしょう」と自ら貶める私に
「いいところじゃない」と笑って返事をされた。
「だいたい何でも揃ってそうだし、コンビニ近いし」
という言葉に、胸が熱くなった。
当時、最善を尽くした選択が、初めて評価された。
心の底から救われる思いだった。
私は誰かに、
『2年前の選択は、後悔するようなものにはならなかった』
と言われたかったのかもしれない。
あの日から、自分のなかで何かが変わった気がする。
もう大丈夫、という実感ができた。
ありがとう母上。
3度目の夏。
今年はキュウリと大玉トマトに挑戦しています。
