2月も節分、立春を通り越して、、え、もう半ば?と思ったら月末です。
早いな。
(書き始めたときは半ばだったんだよ)
さて、節分。
皆さんどんな節分を過ごされたのでしょうか。
(今更だけど!今更だけど!!)
我が子はというと、
幼稚園にはコワモテの鬼が来て、泣きながら豆まきしたり、
小学校ではイワシ料理・マメ料理が給食に出たりと、
そんなふうに季節を家庭外で感じていたようです。
自分の小学生時代には、給食で個包装の福豆が出た記憶があります。
が、今の学校でも前の学校でも出ない。
きっと時代の変化なんだろうね。誤嚥は怖い。
一方で、家庭での節分。
豆、まきますか??
鬼、来ますか??
我が家に鬼役はいません。
実家でもそうだったからだろうけど、
なんというか、悪いことしたわけでもないのに、
『誰かが鬼役をやって、豆をまいて退散させる』というのが…なんとなく…好きになれない。
家に福は来てほしい、悪いものは消えてほしい。
けれど、そこに形ある鬼は必要ではないと思うの。
なので我が家では、家に、部屋に、豆をまく。
だがしかし。
食べ物を直接、家じゅうにまくというのは抵抗がある。
だって食べ物じゃん。福豆おいしいし。
それに、本来まいたものを食すのはNGなんだろうけれども、食べられるものをただまいて捨てるのも抵抗がある、
と
小袋タイプの福豆をまくようにした。
だがしかし。
のちに拾って食べるものを、小袋とはいえ思いきり叩きつけるようにまくのもまた…うーん。
福豆に悪いよ。おいしいのに。(2回目
壁に当たったりしちゃうのも、賃貸だし、ひとのおうち…と思ってなおさらなのかも。
なので、少しむなしさを感じつつも、
『小袋福豆をやさしく放る』というやり方が定着した。
そして今年も、小袋の福豆を買っておいた。
砂糖がけの大豆もおいしいから買っておいた。
そんな節分数日前。
娘が、紙テープで折る星を作っている。
これね。
ソファーで横にだらける母の夕方、床に座って背もたれてくる娘が、できた星々を渡してくる。
疲れた手にもたされては指をすり抜け、床へ落ちる。
拾って〜と甘えては、軽く投げるようによこしてくるので、またも床へ落ちる。
そんなことを繰り返す中、
「これ…、節分の豆まきの代わりにできるんじゃない??」
とひらめいた。
「…星まき!?!☆(゚∀゚)☆」
娘も嬉々として、イイね!と言う。
食べ物じゃないし、もし処し忘れたものがいずれ出てきたときも、ただ『あら懐かしい折り紙』としてポイできる。
見た目はかわいいし、手からこぼれても床に落ちても、明るくて気分がいい。
叩きつけても、なにかを傷める心配もない。
強度は重ねた枚数によるけど、重いわけでもないから、力強く投げても、たいして飛距離は出ない。
最高じゃん。
そうして、紙テープの星を量産することになった。
小学生ズが作ってくれている。
空き箱にたっぷり、日々増える星々に末っ子が喜んでいる。
なんて平和な世界ィ…鬼のいない世界だわ。。
今年の節分は2月2日、日曜日でした。
残念ながら長男は、珍しく友達と約束を取りつけ出かけてしまった。
ので、長女と次男との豆まき…
改め、
星まき。
いや、これ。
楽しいよ。
床が明るくなるのすごくいいよ。
まぁ
星つくる気力があればだけどwww
小学生ズ、作ってくれてありがとうね。
紙テープは100均で遥か昔に買ったもの。
公式になかったから似たの貼っておきますね。
以前かわいい絵柄がプリントされた『小さい星が作れる♪』と謳われた細い短冊みたいな紙も100均で見たけど、そちらはちょっと紙が硬くて作りにくいものでした。
昔ながらの紙テープが、星づくりにはおすすめ。
ちなみに実家は落花生をまくタイプの家でした。
「落花生は千葉県産だな」と言う落花生好きの父がいたからでしょうね。
落花生派のお宅の話もちらほら耳にします。
でも落花生はぶつけられたら痛そうだなぁ…
うん、やっぱりうちに鬼役はいなくていい。
職場の皆さんのお宅は、定番の『父が鬼役』派が多い様子でした。
「日頃の恨みイライラを、思い切ってぶつければいいんだよ!!」
と言われたんだけれども。
うん。
鬼役をやらせて豆をまいても、憂さは晴らせなさそうだから。。
やはり相互の理解のためには話し合いです。
何かあると私の頭のなかで
「俺と君とでは物ごとの価値基準が違うようだ」
という声と
「分からないものがあれば理解しに行けばいい」
という声が響き合うんですよ。
どちらに傾くかは、そのときのメンタルにやや左右されてしまうけれども。
異なる言い分のように見えるけれど、表裏一体だと思うの。根っこは同じ気がするの。
うん。
推しは宝。
もう3月か。
春が来ますね。