私と家族の道標

11歳娘と8歳&4歳息子との日々。

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節分は豆をまかないで星をまくことにした

2月も節分、立春を通り越して、、え、もう半ば?と思ったら月末です。

早いな。

(書き始めたときは半ばだったんだよ)

 

さて、節分。

皆さんどんな節分を過ごされたのでしょうか。

(今更だけど!今更だけど!!)

 

我が子はというと、

幼稚園にはコワモテの鬼が来て、泣きながら豆まきしたり、

小学校ではイワシ料理・マメ料理が給食に出たりと、

そんなふうに季節を家庭外で感じていたようです。

自分の小学生時代には、給食で個包装の福豆が出た記憶があります。

が、今の学校でも前の学校でも出ない。

きっと時代の変化なんだろうね。誤嚥は怖い。

 

一方で、家庭での節分。

 

豆、まきますか??

鬼、来ますか??

 

我が家に鬼役はいません。

実家でもそうだったからだろうけど、

なんというか、悪いことしたわけでもないのに、

『誰かが鬼役をやって、豆をまいて退散させる』というのが…なんとなく…好きになれない。

家に福は来てほしい、悪いものは消えてほしい。

けれど、そこに形ある鬼は必要ではないと思うの。

なので我が家では、家に、部屋に、豆をまく。

 

だがしかし。

食べ物を直接、家じゅうにまくというのは抵抗がある。

だって食べ物じゃん。福豆おいしいし。

それに、本来まいたものを食すのはNGなんだろうけれども、食べられるものをただまいて捨てるのも抵抗がある、

小袋タイプの福豆をまくようにした。

 

だがしかし。

のちに拾って食べるものを、小袋とはいえ思いきり叩きつけるようにまくのもまた…うーん。

福豆に悪いよ。おいしいのに。(2回目

壁に当たったりしちゃうのも、賃貸だし、ひとのおうち…と思ってなおさらなのかも。

 

なので、少しむなしさを感じつつも、

『小袋福豆をやさしく放る』というやり方が定着した。

 

そして今年も、小袋の福豆を買っておいた。

砂糖がけの大豆もおいしいから買っておいた。

 

そんな節分数日前。

 

娘が、紙テープで折る星を作っている。

これね。

 

紙テープ_星

 

ソファーで横にだらける母の夕方、床に座って背もたれてくる娘が、できた星々を渡してくる。

疲れた手にもたされては指をすり抜け、床へ落ちる。

拾って〜と甘えては、軽く投げるようによこしてくるので、またも床へ落ちる。

そんなことを繰り返す中、

 

「これ…、節分の豆まきの代わりにできるんじゃない??」

 

とひらめいた。

 

「…星まき!?!☆(゚∀゚)☆」

 

娘も嬉々として、イイね!と言う。

 

食べ物じゃないし、もし処し忘れたものがいずれ出てきたときも、ただ『あら懐かしい折り紙』としてポイできる。

見た目はかわいいし、手からこぼれても床に落ちても、明るくて気分がいい。

叩きつけても、なにかを傷める心配もない。

強度は重ねた枚数によるけど、重いわけでもないから、力強く投げても、たいして飛距離は出ない。

 

最高じゃん。

 

そうして、紙テープの星を量産することになった。

小学生ズが作ってくれている。

空き箱にたっぷり、日々増える星々に末っ子が喜んでいる。

なんて平和な世界ィ…鬼のいない世界だわ。。

 

今年の節分は2月2日、日曜日でした。

残念ながら長男は、珍しく友達と約束を取りつけ出かけてしまった。

ので、長女と次男との豆まき…

改め、

 

星まき。

 

 

いや、これ。

楽しいよ。

床が明るくなるのすごくいいよ。

 

まぁ

 

星つくる気力があればだけどwww

 

小学生ズ、作ってくれてありがとうね。

 

紙テープは100均で遥か昔に買ったもの。

公式になかったから似たの貼っておきますね。

 

以前かわいい絵柄がプリントされた『小さい星が作れる♪』と謳われた細い短冊みたいな紙も100均で見たけど、そちらはちょっと紙が硬くて作りにくいものでした。

昔ながらの紙テープが、星づくりにはおすすめ。

 

 

ちなみに実家は落花生をまくタイプの家でした。

「落花生は千葉県産だな」と言う落花生好きの父がいたからでしょうね。

落花生派のお宅の話もちらほら耳にします。

でも落花生はぶつけられたら痛そうだなぁ…

うん、やっぱりうちに鬼役はいなくていい。

 

 

職場の皆さんのお宅は、定番の『父が鬼役』派が多い様子でした。

「日頃の恨みイライラを、思い切ってぶつければいいんだよ!!」

と言われたんだけれども。

うん。

鬼役をやらせて豆をまいても、憂さは晴らせなさそうだから。。

やはり相互の理解のためには話し合いです。

 

何かあると私の頭のなかで

 

「俺と君とでは物ごとの価値基準が違うようだ」

 

という声と

 

「分からないものがあれば理解しに行けばいい」

 

という声が響き合うんですよ。

どちらに傾くかは、そのときのメンタルにやや左右されてしまうけれども。 

異なる言い分のように見えるけれど、表裏一体だと思うの。根っこは同じ気がするの。

 

うん。

推しは宝。

 

もう3月か。

春が来ますね。