片付けをしていて、切手シートが当選したはずの年賀状が出てきました。
当落だけ確認して、引き取り放置しちゃうタイプ。
んで発見して更に、次郵便局行くときでいいやーとまた放置しちゃうタイプ(ダメ過ぎる)
ていうかこの記事も2月くらいに下書きしてたやつ(爆)
引っ越し前にね、整理です。
もらってきました。
ウサギかわよ。
(最近娘が少女漫画誌の読者ハガキ出すから、左側の切手が駆逐されがち。笑)
さて、年賀状。
私は出す派です。
その宛先は、親族と友人。
もうすっかり会う機会のなくなった人たちへの、近況報告だと思っています。
わざわざメールやLINEするほどでもないなぁ、
それでも、
あなたのいまを知りたい、私のいまを知らせたい人たちへ。
届くといいなと思いながら、毎年送ります。
まぁ、、手を付け始めるのは毎年遅い派ですけども。
裏面には必ず、家族写真と、一言添えて。
子供だけのお写真も嫌いではないし気持ちも分かるけど、我が家的には、違う。
『家族写真を一年に一度は撮る』という目的も大いにあります。
子供が嫌だと言うときまで、家族写真は載せるつもり。
ただここ数年、
「年賀状、もうやめたほうが良かったりするかなぁ」と思う瞬間もちらほら。
『宛てどころに尋ねあたりません』
の判子を捺されて返ってきたものを見ると、残念…とともに、迷惑かな…と気持ちがよぎる。
関係が途切れるのは、どちらかが喪中でやり取りがなかったシーズンの、翌年が顕著。
ただ、
年賀状一切やらない見るだけ派の方もいれば、
送られてからお返事として出したい派の方もいるようで、
事情があって個人で出せないだろう方もいて、
『同期』とか『元同僚』とか、
同じカテゴリ内で、
「この人は出す」「この人は出すのやめる」と分けて考えるのもなぁ、とも思う。
そしてとりあえず毎年送っちゃう。
んだけど、
今年のシーズン終わるころ、
「私から年賀状送られてくるの、迷惑かな」
の気持ちが強くなった。
もう、せいぜい毎年松の内に下さる方に限定すべき時機なのかもしれない。
そう思う時点で、ある程度のやめ時なんだろうな、と
考えておりましたら、
例年ハガキでお返事を返してくれるタイプの元同僚から、
「毎年の家族写真、楽しみにしてるよ」
との言葉を頂いた。
それが本心なのか、社交辞令なのかは定かではないけれど。
100%社交辞令の間柄ではない(とこちらは思っている)元同期の、その言葉。
嬉しかった。
彼女にはまた送ろうと思った。
一方、実兄の年賀状は返送されてきたwww
どこ住んでんの兄一家www
もう来年送らないねwww
手書き文字を愛おしむ
ある日、伯父の訃報が届いた。
体調が良くないとは聞いていた。
けれど思い出されるのは、私が子供の頃の、元気だったその姿。
お酒好きでタバコを吸う、大人の匂いのする人だと思っていた。
おしゃべり好きの二枚目で、おそらくモテるタイプであろう伯父は、お正月の一族集まるその場でも、話の中心にいたり、あるいは隅で誰かとヒソヒソ話してたり。
子供心に目を引かれる人だった。
酔ってフワフワした声で、甥姪集めて
「腕相撲しよう、買ったら1000円やる」
なんて言って、負けてくれる。笑
トロンとした優しい眼差しは、人好きのするそれだった。
そんな伯父とはもう学生時代以来、会えないままだった。
結婚して親族に年賀状を出すようになり、そして知った伯父の、癖のある手書きの文字。
そういえばこのフォント(w)知ってる。両親宛の年賀状で見てた。
(いやもうまじでフォントかなっていうレベルなの)
私宛に届く年賀状のその文字と言葉は、伯父の姿を思い出す、楽しみのひとつになった。
いつか年賀状整理していたときに、
昔から筆ペンで住所と一言書いてくれていた祖父が、印刷だけになったなぁ、と思ってから、
あぁ、残しておこう、と思ったの。
おじいちゃんの字、おばあちゃんの字。
もう得ることのできないものの尊さだなぁ、と。
それは友人知人でもそうで。
頂いた年賀状に書かれた一言や、手書きの住所。
中学のときから変わらない、友の文字。
高校の教室でやり取りした手紙と同じ、友の文字。
実験ノートを思い出す、大学の先輩の文字。
大学の恩師、相変わらず誤字wwwとか。笑
人柄の良さが滲み出る元同僚。
直接関係のあった頃にはメールばかりで、こんな字書くんだ、と驚くこともあった。
(や、手書き一言ね、なくても嬉しいよ、
でも一言あると、もっっと嬉しいよね、やっぱり。思い出す要素のかけら。)
一年に一度くらい、私の人生のそばにいてくれた人たちを、しっかり想う時があってもいいな。
そんなふうに、
伯父フォント(w)によって、改めて思った次第です。
てことで、まだ年賀状ライフは続けたいと私は思っています。
ていう話を7月にする。笑
以前エクセルで家系図を自作しました。
父経由で祖父母に渡されたんだけど、
「はつはるが作ってくれたんだ、って親父自慢してたよ」と。伯父の言。
祖父が亡くなったその帰省で、喪主である伯父から、父はその話を聞いた。
そして私は父から、その話を聞いた。泣いた。
伯父の感想も聞きたかったな。
「○○ちゃん」と姪である私を呼ぶあの声を、今も懐かしく思う。
…
アッ
もしかして声フェチの素因作ったの伯父かも……!!??