私と家族の道標

11歳娘と8歳&4歳息子との日々。

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引っ越し挨拶行脚

引っ越しまで一ヶ月を切りました。

ちょうど学校行事があったりして、お会いするママさん達にお礼の言葉をお伝えし始めたところ。

 

毎日送迎のある幼稚園時代とは異なり、小学校に入学すると、一気にママ友関係は希薄になります(※私の場合)

もとから仲のよい方々は、仕事を始められてもやはり時間を作ってランチされたりするようですが。

もとから仲のよい人がほぼいないわたくしは、ええ、ひとりで楽しく過ごしますよ。

 

カフェもランチも一人で平気だもん。

満喫するんだもん。

 

寂しくはないよ。

(と耀哉様のお言葉を使うのが我が家のしきたり)

 

話が逸れた。

 

時間作ってお喋りランチキャッキャするような仲のよいママ友さんはいない私ですが、

知り合いのママさん、はそれなりにいるわけで。

中には憧れのママさん、もたくさんいらっしゃる。

 

いつも笑顔で接して下さる方、

お喋りが楽しい方、

バリキャリっぷりが滲む方、

情報通の方、

優しさのしみる方、

とにかくいい人!!な方、

愚痴っぽいけど、共有できる悩みを話せる方、

 

ある意味、表面しか知らないからかもだけど。

だからこそ、感謝を伝えたい相手はたくさんいる。

 

 

数日前、ガス屋さんの点検があった。

いつもの、浅黒い肌のパンチパーマでお目々クリクリのおじさんじゃなかった。

ちょっと残念に思った。

「転居するんです〜」と伝えながら、

直近でガス台替えたのいつだったか、給湯器の交換いつだったか、エアコンはガス使うやつか交換済か、

そんな確認をしながら、随分長く住んだなぁと改めて感じた。

 

少し前には、アパートのメンテナンスするおじさんに来てもらった。

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以来、今のところ、アパートの不調はない。

不調になってほしくないし困るんだけど、あのいつものおじさんにも、感謝を伝えたい。

まぁ不調は突然に…だから、また会える機会があるかもしれない。

いや、会える機会ないほうがいいんだけど。笑

何これわたし思春期かw

 

 

子供や自分が定期通院しているクリニックでも、お医者さんたちに、お別れのご挨拶をしています。

 

歯科では、3人分、別々の日の診察になった。

「まとめて診れなくてごめんね」と言われた。

「別々のほうが楽でした」が私の感想だった。笑

私の親知らず、最後の一本抜くのが積み残し大仕事らしい。

優しく、穏やかな先生。

3人連れてる日にはいつも微笑みかけ、言葉をくれた。

 

皮膚科は、肝っ玉母ちゃんみたいな先生。

赤ちゃんだった長男の肌状態から、小児科でのアレルギー検査を勧めてくれた。

分岐点のひとつだったと思う。お世話になった。

ご自身が3兄弟の母らしく、育児生活を知った上での処方やアドバイスをしてくれる、貴重な存在。

 

耳鼻科の先生もいい先生。

先生のとこで舌下免疫始めたかったな。

「向こう(転居先)いい耳鼻科いっぱいあるんじゃないかなっ??」

「先生ご存知ですか?」

「いや、ごめんなさい、僕千葉の人間なんでーw」

草。

 

小児科は、やっと普段いくところが定まったのにな。

お別れの機会がないまま、元気に過ごせることを祈るのみ。

 

ただ、長男が赤ちゃん時代にたくさんお世話になった総合病院の先生には、なにかお手紙とかで感謝をお伝えできないかなぁ、と思案しています。

乳児喘息で通った日々。

待ち時間は長く、鼻吸いや吸入、体重測定すら毎回全拒否でいやがり泣き叫び、採血した日にはもうこの世の終わりレベルの絶叫。笑

本当にしんどかった。

 

蜂窩織炎で入院付き添いしたとき。

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過去記事には書いてないっぽいけど、私自身が「帰りたい」と涙が出るほど、メンタル病むレベルでしんどかった。

そんななか、主治医が様子を見に来てくれたときの安堵感。

先生が診てくれる安心感。

 

外来で聴診器あてるとき、いつも言ってくれた、

「お母さん、保湿頑張ってますね」。

誰も認めてくれないその努力を、

夫すら気づかないその毎日の努力を、

先生だけが知っていてくれた。

あの頃のベビー服は、まだ少し、残してある。

もう落ちない油の汚れも、匂いも、あの日々の大切な思い出。

 

先生への愛はこちらで語っていた。

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鶏卵アレルギーに関しては、本人の希望もあり、今の病院で継続希望を出す予定です。

先生からは「もう少しで(病院)卒業」とほのめかされているので。笑

負荷試験のときは本人メンタルがかなりデリケートなので、同じ環境で自信もたせたい。

 

こうして振り返ると、医療面では本当に、

『出会えた主治医それぞれの診療方針が、同じ方向を向いていた』

というのがなによりの僥倖だった。

 

自分が信頼している先生が、

自分が信頼している別の先生の評価として、

「○○先生に診てもらってるなら大丈夫だね」

という言葉の力強さ。

 

末っ子次男が持ち帰ってきた七夕飾り。

ぱんやさんになりたいそうです。

 

七夕が来ると思い出す。

長男の定期通院で、総合病院の玄関に飾られた大きく立派な笹を見上げて、

一度素通りして、

考え直して戻って、

短冊を一枚選んで、

 

『長男の乳児喘息と乾燥肌と卵アレルギーと癇癪が少しでも少しでも良くなりますように』

と書いた日のこと。

風が強い、よく晴れた日だった。

 

その一年後から毎年、これはご利益では??と感じてた。

次男の癇癪に悩んだときは、用ないけど病院行って短冊書いちゃダメかなぁと思った。笑

あの病院の七夕飾りは、なんか、すごいんだと勝手に思ってる。笑

 

ありがとうのお気持ちをたくさん抱えて。

 

荷造りしなきゃ。

 

引っ越し先でも素敵な出会いがありますように、と願いながら。