私と家族の道標

9歳娘と6歳&2歳息子との日々。

祖父を思う

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少し前ですが。と書ききれずにだいぶ前になりましたが。

祖父が亡くなりました。96歳。

寂しいです。

孫としての思い出を綴ります。長文です。

 

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秋田に住む、父方の祖父母。

実家からは距離的に飛行機か新幹線なので、子供の頃は夏休みや冬休み、旅行がてら遊びに行くのが楽しみでした。

 

家の周りは田んぼに囲まれて、遠くに見える山並みがきれいな秋田の田舎町。

昔ながらの広い家で、家の前の畑と、離れたところにある田んぼと。

 

おしゃべりな祖母と反対に、物静かな祖父。

働き者の祖母が居間で一息つく度、話が長くなるのをたしなめる姿もありました。注意されると、私を見て「叱られた」とはにかむように笑う祖母。仲良し夫婦です。

二人でいる姿が、何よりすてきでした。

 

愛用の軽トラで、子供だった私と兄を載せて、田んぼへ行ったこともありました。

兄とひどいケンカをしたときには、私を助手席に乗せて、少し遠い山に行ったことも。

ケンカのことには何も触れず、遠くの景色を眺めながら「あそこの煙突のあるとこが誰々おじさんの会社」「あっちに見えるのは誰々が通ってた学校」など、お話だけして帰ったその日のことは、今も覚えている、祖父と私、二人の思い出。

 

以前は薪を使うストーブだったから、薪割りするのも祖父。道路の雪かきも、細い体で簡単にこなしてた。

 

今思えば70歳くらいの時なのかな、胃がんで2/3だか胃の切除をしてからは、かなりの少食だった。

でも、元気にちょこちょこ食べ。

 

私が大学生の頃は、学生の当日割みたいなチケットが使えたので、閑散期を狙って3~4泊するのが、実家を離れるお楽しみ。

だから、当時の二人の普段の生活は、誰より私が知ってた。と思ってる。

 

7時前には朝食を終えて、休憩して。

iPodで演歌や落語聞きながら散歩して、10時すぎに帰ったら、ハチミツに角砂糖入りのミルクココア(※をコーヒーと言って飲む)。iPodは伯父がプレゼントしたものらしい。

お昼食べて、いつもの居間の定位置に枕出して横になって。うとうと。みんなでうとうと。

目を覚ましてはおやつ。居間のテーブルのおやつかごはいつもいっぱい。

ちょこちょこ食べのタイミングで「どうだ」と渡されるので、私のおなかもいつもいっぱい。笑

夕方5時くらいに夕飯。お風呂あがりはソーダアイス。これ絶対。冷凍庫に大量に入ってます。

そして7時くらいに就寝。

「早く寝れよ」と言われるけど、おじいちゃんの寝室からは10時くらいまでテレビが爆音で聞こえてきます。笑

 

最寄り駅までの送迎もしてもらった。

乗り込んだ車窓から、踏切で止まった祖父の車を見つけるの、嬉しかった。

 

他の孫たちは同じ市内、県内あるいは隣県にいるので、あの家に泊まった数なら私がきっと孫イチ。

 

家は広いし、そのぶん夜は暗い。

それでも『おじいちゃんち』『おばあちゃんち』のあの独特な『守られてる感』を感じた日々は、本当に貴重な、財産だと思う。

 

 

今年の始めに一度搬送されたそうで、その後一時帰宅したものの、再入院生活を送っていたみたい。祖母もあの家で一人では、と老人ホームで過ごし始めた。

そし伯父たちが、家の整理を始めてくれた。

だからもう、きっとあの家に行くことはない。

 

 

 

母方の祖母が亡くなったとき、諸事情から直接のお別れに行けませんでした。

だからこそ、悲しくともいずれ来たるそのときには…と思っていたのに、この社会情勢。

 

孫は参列無しとなりました。

 

でも、父が行けて良かったと思う。

 

そして、父が思いがけず伯父に伝えられた話。

 

以前、私、エクセルで『家系図』を作ったんです。

www.milestone0123.net

父に渡したものが、祖父母に送られたのは知っていました。

それをね、祖父が、「はつはるが家紋入りの家系図作ってくれた」って、伯父に自慢してたんだって。

 

それを聞いて。

 

嬉しかった。

 

ただ、嬉しかった。

 

家系図作ってから、会いにも行ってるはずなんだけどもね。

おじいちゃんシャイだから。

孫娘の婿どのがいる前じゃまた空気も違うしね。

 

最後に会ったときは、次男がお腹にいたんだよ。

会ってもらいたかったなぁ。

 

最後に行ったときは長女6歳・長男3歳のとき。

もう家人は誰もあがらなくなった2階の部屋を夫+キッズで探索して、大量のカメムシがいたことから、『秋田のひいおじいちゃん・ひいおばあちゃんち=カメムシのおうち』となっている。笑

でもその記憶も少しずつ薄れるだろうな。

家の外観の写真は昔撮っておいたけど、家の中の写真もたくさん撮ればよかった。

広い玄関も、たくさんの盆栽も、使わなくなった黒電話も、『グリコ』や『だるまさんがころんだ』を従兄弟たちとした広い廊下も。

一風変わった階段に、その隙間からのぞく掃除機にティッシュのストック。曾祖母が使っていた鏡台。たくさん飾られた従兄弟の賞状や書道作品、縁側の陽だまり、古いタンス。いつも空いている裏口のぬか床の匂い。囲炉裏。

そういえば初めて長女連れて行ったときには、仏間でおむつ替えしたな。ご先祖様に見守られながら、置き土産、残したな。笑

ぜんぶ、大事な思い出。

 

おばあちゃんには、会えるといいなぁ。

 

マツバギク

マツバギク。

 

実家の雑多な鉢植えに植わっていたピンクの花は、母が好きだった花(のはず…)

多肉多肉した葉が、私は正直あまり好きではありませんでした。

 

でも、母方の祖母が亡くなり、法事のため20年ぶりに母の生家を訪ねたとき、物干し場にある花壇に、マツバギクがたくさん咲いていて。

 

「あぁ」

 

と思った。

 

この土地で咲くには強い花だろうなぁ、とも思った。

 

その花壇は、花を好む祖母がよく手入れをしていたものであることを、幼い頃から私は理解していた。

 

子供のとき、「種って郵便で送れるのかな」と迷いながらも封筒に入れて。

子供ながらに『私からおばあちゃんへの手紙』という意識があったので、なんとなく親に確認をしたくなかった。

そして何日かして、「手紙ありがとうね」と電話があった。

「種も送ってくれてありがとう、蒔いたよ、咲くのが楽しみよ」と喜んでくれた訛りの声を、私はいまだ覚えている。

きっと、おばあちゃんもマツバギク、好きだったんだろうなぁ。

 

それから、マツバギクに対する気持ちがだいぶ変わりました。

多肉多肉してて苦手、って思っててごめんね。今度育ててみようかな。

 

アパートの植え込みに咲いてくれているのが、嬉しいです。